小牧山

ダイセー倉庫のある愛知県小牧市には、小牧のシンボル小牧山があります。
小牧山は国指定史跡です。愛知県小牧市堀の内一丁目地内に所在し
小牧市の西部、中心市街地のすぐ西にあります。
織田信長が居城として小牧山城を築いたことで知られ、現在も小牧市周辺に置いて自然を多く残
していて、市民のオアシスとしても親しまれています。
戦国時代から現在まで、小牧の歴史を共にしてきた小牧山についてをご紹介したいと思います。

日本初の石垣を用いた城造

永禄6年(1563年)に築かれた日本最古の石垣造り

小牧山は永禄6年(1563年)に美濃を攻略するために築かれた山城であり、
攻略の前線基地として非常に重要な役割を持っていました。

重要な拠点であるがゆえに守りを固める為、山頂部付近に巨大な石を用いた
石垣を築き、防御を固めていました。
これが日本で最古と言われる石垣なのです。 

織田信長の小牧山城

小牧山城の築城
 
永禄6年(1563年)、織田信長は、小牧山に築城して、清須城から居城を移した。
この当時の信長は、桶狭間の戦いで今川義元を破り、三河の家康と同盟を結んで東からの脅威を取り除き、
尾張国内の統一をほぼ終えており、たびたび美濃攻めを行っていた時期にあたります。

文献としては、信長公記首巻に信長の行動を物語るエピソードとして、清須から小牧山へ居城を移す旨の記述がされていますが、築城の年などの記述はありませんでした。

しかしながら、同時代に作成された信長の行動を示す書簡や日記などの古文書の分析から、
永禄6年の小牧山城築城は通説となっています。
永禄10年に美濃の稲葉山城を攻略して、岐阜へ移るまでの4年間が信長の時代とされています。

位置と現状

小牧山史跡の現状
 
小牧山は、東西約600メートル、南北約400メートルの古生層の独立峰で、標高85.9メートルの小山です。
濃尾平野に独立してうかぶ姿は美しく、小牧市の シンボル的存在になっています。
また、小牧山は、周辺が都市化していく中で濃い緑を残し、市民のオアシスともなっています。
山頂に小牧市歴史館をもつ緑豊かな 小牧山は、広範囲から視認でき、とりわけ高架の東名・名神高速道路、名古屋高速道路を走る車上からはかなり遠方からも視認でき、ランドマーク機能を持つとともに、山頂の小牧市歴史館からは、雄大な360度のパノラマ眺望を楽しむことができます。
小牧山の史跡指定は、昭和2年10月26日で、史跡指定面積205,956.24平方メートルで、その大半を小牧市が所有していますが、南部の八幡神社周辺が神社地となっている。

れきしるこまき
 
 小牧山のふもとに建つ「れきしるこまき」(小牧山城史跡情報館)は、鉄骨造、延べ床面積約1,000㎡の平屋建てで、小牧市のシンボルである小牧山の歴史や文化、残された貴重な自然をみなさんにお伝えするガイダンス施設です。
 常設展示室では、発掘調査で明らかとなった織田信長が築いた小牧山城の石垣や城下町、小牧・長久手の戦いなど、小牧山を取り巻く歴史を、模型や映像を多く使ってわかりやすく紹介しています。
 また、企画展示やワークショップ、講演会や講座を行うスペースを設けており、小牧山に関する最新の情報を提供する施設です。
 平成31年(2019)4月25日に開館をいたしました。
『れきしるこまき』
http://www.komakiyama.com/rekishiru/

   

小牧山史跡の位置

愛知県小牧市堀の内1-1

関連書籍

まんが 織田信長公伝『麒麟の城』
織田信長公伝『麒麟の城』
作画:すずき孔先生
天下統一の夢を抱きながら、小牧の地で初めての築城に着手した若き日の織田信長。
今までにない石垣の城や画期的な城下町を完成させた信長の「夢へのチャレンジ」を描いた漫画です。